2018年ロシアワールドカップサッカー日本代表の長谷部誠さんってどんな人なんでしょうか?
僕の感想も含めてご紹介します。
長谷部誠さんのプロフィール
生年月日・ポジション・身長・体重
生年月日は1984年1月18日の34歳(2018/3/25現在)
ポジションはミッドフィールダーです。
身長は180cm・体重は72kg。デカっ!
イメージ的に平均的な体格かと思いきや、180cmもあるんですね!ビックリです!
たぶん顔ですよ、顔!平均的な体格っぽい顔してますもん!
(これ偏見ですよね。すいません…)
出身地
出身地は静岡県藤枝市。
静岡といえば、最近は九州勢におされ気味な感じはあるんですが元祖サッカー王国です。
数々のサッカー全国大会で優勝する高校がゴロゴロいるような県で、あのキャプテン翼の舞台も静岡県です。
高校サッカーの強豪校には私設応援団があって、平日でも近所のおじさんが練習を見に来るのが普通というサッカーに熱いというか熱狂的な地域なんですね!
子どもの頃は「オレも静岡県で生まれたかった」って思ったぐらい憧れてましたねぇ~(笑)
出身学校
小学校は藤枝市立青島小学校で中学校は藤枝市立青島中学校。
小学校時代は地元の青島東サッカースポーツ少年団(現、青島東FC)に所属。
中学校では他のサッカー日本代表選手のようにクラブチームではなく部活でサッカーをしていたようです。
小さい頃からずっとクラブチームで指導を受けているとテクニックだったり自主性のような「個」が伸びてくるんですが、部活は学校教育の一環ですからバランスだったり協調性などの「全体」を意識するようになります。
この部活あがりというのが長谷部誠さんのプレーだったりバランスを取るような動きの基本になっていそうですね。
そして高校は全国的にも有名な静岡県立藤枝東高等学校。
でも…飛びぬけてうまい選手ってわけじゃなく、レギュラーになったのは2年生の後半からというプロには珍しいタイプです。
習字を習っていて達筆で、校庭に白線を引くのがうまいので1年生のころはライン係だったようです!!!
これって…僕みたいな平凡な高校1年生と同じです!
監督も「1・2年の頃はほとんど印象がない」というほど普通の選手だったようです。
高校3年生になってようやく存在感が出てきてトップ下で活躍するんですが、そこには人知れない努力が…!
全国でも有名な強豪高の藤枝東の厳しい練習を終えたあと、フットサル場に通ってさらに練習していたんですね。
コツコツと積み上げる「長谷部誠さんらしい」エピソードです。
そんな人知れない努力が実って、ほぼ無名に等しい長谷部誠さんの存在がJ1浦和のスカウトの目にとまったんですね。
Jリーグでの成績
高校を卒業すると浦和レッズに入団。
1年目はほぼ出場がなく、2年目からようやくコンスタントに試合に出られるように。
3年目から長谷部誠さんの代名詞「ボランチ」に定着すると、メキメキと活躍しだします。
浦和レッズのセカンドステージ優勝に大きく貢献し、ナビスコカップ・ニューヒーロー賞(現ルヴァンカップ)やJリーグのベストイレブンに選ばれるなど存在感を増していくんですね。
失礼なんですがこの頃の長谷部誠さんのイメージって「誰?」って感じだったし、ほんとにJリーグのベストイレブンに選ばれるほどの実力あるん?って思ってました。
でもこの評価って、外から見ても分からないけど現場レベルではメッチャ分かるって感じなんだと思います。
監督からすると長谷部誠さんのようなプレーをする選手ってチームにかならず欲しいんです。
守備と攻撃を繋いでくれて、地味だけどサボらず走ってくれるような「信頼」できる選手。
そういうことをキッチリやって浦和レッズの個性は軍団のを1つのチームとして機能させて優勝に導いたとこが評価されたんだと思います。
2008年1月にVfLヴォルフスブルクに移籍。
海外での成績
VfLヴォルフスブルクに移籍したのち1.FCニュルンベルクへ移籍。その後アイントラハト・フランクフルトへ移籍。
VfLヴォルフスブルクに移籍すると定位置であるボランチのほかに右サイドハーフや右サイドバックでプレーすることも多くなったんですが…
あの時は…?ってなりましたね!
サイドをやってる長谷部誠さんを見て「似合わん!」って思いましたが、慣れないポジションながらもブンデスリーガ優勝に貢献しましたね。
もしかしたらこの経験が今の「マルチプレーヤー」になるきっかけだったかもしれませんね。
ちなみにキーパーをやってた時は「おいっ!」って画面にツッコミました(笑)
その後約6年弱所属したVfLヴォルフスブルクから1.FCニュルンベルクへ移籍するんですが、この移籍は長谷部誠さんが自ら希望したものでした。
理由は…ボランチで出場したいから。
そりゃそうでしょ~ね!
右サイドハーフなら100歩譲っていいとしても、右サイドバックやキーパーはね~…
便利屋みたいな使われ方されたんじゃ、いくらチームのために献身的だっていっても納得はできませんよね。
でも…1.FCニュルンベルクでは思ったようには活躍できませんでしたねぇ。怪我でほぼ出場できずにチームは2部へ降格。
この時はほとんど出場してなかったので長谷部誠さんが1.FCニュルンベルクに所属してたってイメージがないです。
9ヵ月後の2014年6月にアイントラハト・フランクフルトへ移籍。
このチームでは監督によって活躍できたりできなかったりする時期が交互に訪れます。
移籍した最初のシーズンはボランチとして安定ポジションを確保していて活躍していたんですが…
監督が変わるとまた右サイドバックにコンバートされ苦戦をしいられます。
なぜ長谷部誠さんをサイドバックにするんでしょか?不思議でしょうがないです。
それに伴ってチームも低迷していき、結局監督は解任。
監督が変わるとまたボランチとして出場し始めるとチームも安定していき、2部降格をなんとか回避するんです。
やっぱり長谷部誠さんはセンターですって!
そこからボランチをやったりセンターバックで出場していたんですが、リベロをするようになってからは才能が開花した感じでしたね!
この頃からドイツでの評価がさらに上がり「フランクフルトの皇帝」みたいに言われてましたね!
リーグ戦は8位で終えたんですが、国内のカップ戦DFBポカールでは優勝!
スッゴイですね~!!!
日本代表ではキャプテンを務める長谷部誠さん。ロシアワールドカップでもそのキャプテンシーを発揮して必ず活躍してくれるはずです!!!