2018年ロシアワールドカップサッカー日本代表の川島永嗣さんってどんな人なんでしょうか?
僕の感想も含めてご紹介します。
川島永嗣さんのプロフィール
生年月日・ポジション・身長・体重
生年月日は1983年3月20日の35歳(2018/5/12現在)
ポジションはゴールキーパーです。
身長は185cm・体重は82kg。
意外にそこまで大きくないんですね。あの、手を大きく広げる仕草がさらに大きく見せてるんでしょうね。
出身地
出身地は埼玉県与野市(現さいたま市)
埼玉といえばなんといっても有名なのが浦和レッドダイヤモンズと大宮アルディージャです。
出身学校
小学校は与野市立八幡小学校で中学校は与野市立与野西中学校。
(現在はどちらも 与野市立→さいたま市立 に変わっている)
高校は埼玉県立浦和東高等学校に進学。
小学校2年生から与野八幡サッカースポーツ少年団で始めたんですけど、希望するキーパーをすることはできず、チームの事情でセンターバックをやっていたらしいです。(人が少なかった)
中学生になると希望していたゴールキーパーになり埼玉県選抜に選ばれるほど成長し、ドイツやオランダなどにも遠征する。
凡人の僕がいうのもなんですけど、キーパーで県選抜ってことはかなり実力があったんではないでしょうか。
キーパーって特殊なポジションですから、身体能力が高いからとりあえず選んでおいて違うポジションで試してみるなんてことができません。
だから県選抜でもキーパーの枠って3人ぐらいのもんなんです。
その当時、川島永嗣さんは埼玉県の中学生のなかで1~3番目の実力だったってことです。
地元では「西中にいいキーパーがいる」と有名だったそうです。中学生のころから上手かったんですね!
高校生になると浦和東高校に進学し、さらにゴールキーパーとしての迫力が増します。
国体選抜でいっしょにプレーした選手によると、とにかくデカくて声もデカい。そしてキックの飛距離が驚異的だったそうです。
そして、とにかく練習していたそうです。
最後まで学校に残って練習して、自分で校門を閉めて帰っていたというから驚きです。
そのかいあって選手権大会もインターハイも全国大会へ出場しています。
3年生になり進路をプロに決め浦和レッドダイヤモンズのセレクションを受けるも不合格。
しかし大宮アルディージャのセレクションを受けて合格しプロの道へと進む。
Jリーグでの成績
大宮アルディージャに入団しのち名古屋グランパスエイトに移籍。その後、川崎フロンターレへ移籍。
大宮アルディージャに加入したものの1年目は公式戦に出場できなかった。
そこでチームはイタリアのパルマに留学させることに。川島永嗣さんはパルマのユースチームに所属し腕を磨いた。
そこで初めて世界のトップレベルの練習を目の当たりにし、指導を受ける事になるんです。
イタリアから帰国すると徐々に試合に出場するようになりU-19日本代表に選出され、2003年に出場しのワールドユース選手権で高い評価を受ける。
翌年、その当時の日本代表正ゴールキーパーの楢崎選手のいる名古屋グランパスエイトに「セカンドキーパー」になることを承知の上で移籍する。
あえて高いレベルで争える環境に飛び込んだんですね!なかなかできるもんじゃないですよ。
2006年には川崎フロンターレからのオファーを受け移籍。
安定感のあるプレーで3年間全試合フル出場する。
2010年7月リールセSKへ移籍。
海外での成績
リールセSKに移籍したのちスタンダール・リエージュに移籍。その後ダンディー・ユナイテッドに加入したのちFCメスに移籍。
リールセSKに移籍するとレギュラーとして試合に出場するも、チームは降格圏ギリギリの位置を彷徨うことに。
しかしなんとか残留を決める。その後キャプテンをつとめチームを引っ張る存在になる。
2012年7月、スタンダール・リエージュに移籍し、1年目から全試合フル出場する。
しかし2014-2015シーズンは途中からレギュラーをはずれるようになりチームを退団。
その後しばらく所属チームが決まらず無所属となるが、5ヵ月後にようやくダンディー・ユナイテッドFCに加入。
練習に参加しても参加しても契約に至らないこの期間はものすごく焦ったでしょうね。
2016年8月、FCメスへ移籍するも「第3キーパー」というところからのスタートとなるが第1キーパーの座を奪う。
キーパーっていうなかなか変わらないようなポジションで、よく第1キーパーの座を奪えたなって思います。
凄いですね!!!
ロシアワールドカップではその闘志と気迫で日本のゴールを守ってくれるはずです!!!