2018年ロシアワールドカップサッカー日本代表の槙野智章さんってどんな人なんでしょうか?
僕の感想も含めてご紹介します。
槙野智章さんのプロフィール
生年月日・ポジション・身長・体重
生年月日は1987年5月11日の30歳(2018/4/30現在)
(ワールドカップ開催時は31歳)
ポジションはディフェンダーです。
身長は182cm・体重は74kg。
情熱的なプレーが特徴のセンターバックですね!まぁたまに情熱的になりすぎて退場しちゃうこともありますが(笑)
出身地
出身地は広島県広島市西区。
広島は中国地方でいちばんサッカーが盛んな地域です。僕も中国地方出身なんですが、まわりにサンフレッチェ広島ユースに入ってたなんて人もちょくちょくいます。
この地域でプロを目指すならサンフレッチェ広島がいちばん身近でしたね。
出身学校
小学校は広島市立草津小学校で中学校は広島立庚午(こうご)中学校。高校は広島県立吉田高等学校。
サッカーは小学校1年生から井口明神小学校のサッカークラブに入団。草津小学校のサッカー少年団は4年生からしか入団できなかったので隣町のサッカークラブに入団したようです。
6年生の頃にはフォワードとして県大会3位という成績をのこしています。
槙野智章さんって小学生の時はフォワードだったんですね。
けっこういますよね!こういう人。
小学生ぐらいの時って体力的にまさってたら相手に勝てちゃうパターンが多いですからフォワードで使われて…
中学に入ると技術も必要になってきてディフェンスにコンバートってパターンは定番っていえば定番です。
中学生時代はサンフレッチェ広島ジュニアユースに入団するとさまざまなポジションを経験し、3年生の時にセンターバックにコンバートされ実力を発揮するようになる。
槙野智章さんはこの頃からセンターバックになったんですね!さすがサンフレッチェ広島ジュニアユースのコーチは見る目がありますね!
槙野智章さんのような情熱的にプレーするような選手はフォワードや中盤のようなポジションより、センターバックで対戦相手にぶちかますようなポジションのほうが生きるんです。
高校に進学するとサンフレッチェ広島ユースに昇格し2年生からレギュラーを獲得。
ユースレベルの大会で2冠達成に大きく貢献し、その守備は監督から「同世代には絶対やぶれない」と絶賛されるほど。
めちゃめちゃ褒められてます。今と同じように、そうとうアグレッシブな守備だったんでしょうね!
3年生になると年代別の代表に選出される。
そして高校3年生の2学期の中間テスト期間中に自宅にてサンフレッチェ広島の強化部長よりオファーを受けプロに進む。
Jリーグでの成績
サンフレッチェ広島のトップチームに昇格すると1年目からコンスタントに試合に出場し、U-20ワールドカップにも出場。
槙野智章さんはルーキーイヤーから大活躍だったんですね!
恐るべき18歳です!
2007年からはレギュラーに定着したがチームはJ2へ降格。
しかし移籍することなくサンフレッチェ広島に残留。
やっぱりサンフレッチェ広島の生え抜きですからね。J1の他のチームに移籍するよりチームを昇格させたいという気持ちのほうが大きかったんでしょうね!
そして槙野智章さんの活躍もありサンフレッチェ広島は1年でJ1昇格を果たします。
2009年にはチームでの活躍から日本代表に召集されるも試合出場はなし。
2010年はJリーグベストイレブンに選ばれるなど活躍し、再度日本代表に選ばれる。
しかしアジアカップ最終予選で日本代表で初出場するも本大会でのメンバーには惜しくも落選。
まぁディフェンス、特にセンターバックのようなポジションってフォワードのように次々と選手が変わるようなとこじゃないですからね~
ディフェンスとキーパーの連携だったり戦術理解だったりが浸透している選手を使いたいってのが監督の思いでしょうね。
その後AFCアジアカップの日本代表に選出されるんですが怪我により途中離脱。
槙野智章さんは最初のころ日本代表でなかなか活躍できなかったんですね~
2012年12月1.FCケルンへ移籍。
海外・それ以降の成績
1.FCケルンへ移籍した槙野智章さんなんですが、1年目の試合出場5試合。
2年目の試合出場が3試合となかなか試合に出場することができず、ドイツの4部リーグにあたるレギオナルリーガに出場したりしていたようです。
槙野智章さんにとっては非常にきびしい時代だったとは思いますが「この経験が今の自分を支えてる」と本人もインタビューで答えています。
ですよね。出られなかったことが失敗ではなく「経験できた」ということも成長するためには必要なんですね。
出場機会を求めて日本へと復帰するんですが、以前所属していたサンフレッチェ広島ではなく浦和レッズに1年間の期限付き移籍をします。
これで槙野智章さんは覚醒します。
加入後チームを牽引しリーグ3位にまで引っ張りあげ、2008年以来となるACLチャンピオンズリーグの出場権獲得に大きく貢献した。
やはり厳しい環境でもまれた人間は強いですよね。
翌年には完全移籍をし、それから現在まで浦和レッズの中心選手としてチームを引っ張っている。
日本代表では2017年11月、親善試合ではあったがブラジルから得点する活躍を見せています。
ロシアワールドカップ日本代表では必ずしも出場できるというような立場ではないですが、絶対にいなきゃいけない選手です。
ピンチの時はやってくれるはずです!!!